ニュース 古事記と日本書紀 どちらが先?. トピックに関する記事 – 日本書紀と古事記はどちらが先ですか?

古事記と日本書紀 どちらが先?
『日本書紀』は720年(養老4)に完成した歴史書です。 『古事記』の成立から8年後のことでした。古事記は天皇家統治の正当性を国内に示すために編纂されたと考えられていますが、日本書紀は天皇の記述が多く、漢文で書かれていることから、当時交流のあった中国など諸外国に、日本は神の御子[みこ]である天皇が支配している国であることをアピールするために編纂されたと考えられています。『古事記』は712年、『日本書紀』は720年というように、いずれも8世紀のはじめにまとめられた歴史書です。 神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇というように共に女帝で終わっているところも同じです。 また、両書とも編纂の出発点が、7世紀後半の天武朝にあるという点も一致しています。

日本書紀はいつ完成しましたか?日本書紀にほんしょき 『日本書紀』は、元正天皇の養老4年(720)に完成したとされるわが国最初の勅撰国史(天皇の命で編修された国の歴史)。 撰者(編者)は天武天皇の皇子の舎人親王(とねりしんのう)ですが、ほかに紀清人(きのきよひと)や三宅藤麻呂(みやけのふじまろ)らが編纂の実務を担当しました。

日本書紀は現存していますか?

『日本書紀』は、神代から持統天皇11年(697)までの記事からなり、本文30巻、系図1巻で構成されています。 このうち、系図については、現存していません。『古事記』の8 年後、720 年に完成した『日本書紀』は、日本初の正史であり、中国の人も読めるように正格な漢文で編纂されました。 これに対して『古事記』は正史ではなく、天皇家の支配の正統性を語るものであると考えられています。

古事記と日本書紀をまとめて何といいますか?

『古事記』と『日本書紀』は、日本神話や古代史を記した現存最古の歴史書で、まとめて「記紀」と呼ばれます。

これは、7世紀後半の天武朝に天皇の命を受けて、稗田阿礼(ひえだのあれ)が習誦していた歴史を太安万侶が筆録したものです。 日本の歴史を叙述したものとしては現存最古であり、日本の古代史を語る際には欠かすことのできない根本史料です。

日本書紀と古事記の違いは何ですか?

『古事記』の目的は天皇家の歴史を記すこと、そして『日本書紀』の目的は日本という国の成立を記すことだったともいわれています。 作られた目的が違いますから、内容にもさまざまな違いがあります。 両書を比べると、スサノオやヤマトタケルなどの性格が大きく異なっていたり、一方にしか出てこないエピソードもあったりします。撰者は藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)・藤原緒継(ふじわらのおつぐ)ほか。 仁明天皇の承和7年(840)に完成しました。 全40巻(現存10巻)。天皇の皇子を中心に編纂

飛鳥時代の681年(天武天皇10年)、天武天皇は第2皇子の川島皇子に、天皇家の系図である「帝紀」(ていき)と、「上古の諸事」(じょうこのしょじ:過去の記録)の編纂を命じます。 これがのちの日本書紀編纂につながっていきました。

『日本書紀』には、天地開闢(てんちかいびゃく)といわれる世界のはじまり、神々の手によって日本の国が築かれていった神代から、第41代の天皇にかぞえられる持統天皇の時代までの歴史が記録されています。 全30巻からなり、系図1巻が添えられています。

古事記で日本を作ったのは誰ですか?日本を作った神様 古事記では「伊邪那岐命」、また日本書紀では「伊弉諾神」と表記される通称「イザナギ」とは、日本神話に登場する男性の神様のことです。

古事記にあって日本書紀にないものは?『古事記』には序文がありますが、『日本書紀』にはそういった序文はありません。 『古事記』の序文がまた特異で、稗田阿礼が口承したものを、太安万侶が書き留めていったということが記されています。 ―― 口承ということは、ずっと口伝えできたということですね。

日本書紀と古事記の相違点は?

『古事記』の目的は天皇家の歴史を記すこと、そして『日本書紀』の目的は日本という国の成立を記すことだったともいわれています。 作られた目的が違いますから、内容にもさまざまな違いがあります。 両書を比べると、スサノオやヤマトタケルなどの性格が大きく異なっていたり、一方にしか出てこないエピソードもあったりします。

『古事記』は女帝・推古天皇で終わります。 推古天皇のときは、聖徳太子が摂政となり、聖徳太子のおじいさん、推古天皇からすればお父さんに当たる欽明天皇の時代に仏教が入ってきたことなります。 欽明天皇、その息子であり聖徳太子のお父さんでもある用明天皇、聖徳太子のおばさんである推古天皇の時代は、仏教が非常に重要な時期です。『古事記』は世界のはじまりを「天地初発」と表して、その時、天之御中主神が誕生したと書いています。 天の真ん中にあって支配する神様という意味です。太安万侶は、現存する日本最古の歴史書である『古事記』を編纂した人物です。 平城遷都を行った元明天皇の時代に、文官として平城京左京(現奈良市)に住んでいました。 長年、その実在を疑問視する見解もありましたが、昭和54 年に奈良市此瀬町にて墓が発見され、実在の人物であることが明らかになりました。